‘雑記’ カテゴリーのアーカイブ

2019年12月6日
ツレの通勤コートを探す

朝方、寒くて目が覚めて、「今日は-3度くらいまで気温が落ちているのかな?」と思っていたところ、布団から出てみれば、ぜんぜんそんなことありませんでした。

最低でも0度台。

自分の体調が原因でいつもより寒く感じたようです。

現実の気温じゃなくて、体感にあわせて防寒する必要がありますね。

さて、今日は冬アイテムの話。

最近は「命にかかわるアイテム」しか買い物していませんが、「ツレが欲しがるもの」は別です。

ツレいわく、通勤用のコートを新調したいと言う。

長野市内で無理やり探しましたが(*20~40代くらいの長野県民の場合、革靴やコートなど高額アイテムの買い物は東京などにでかけます)、良さそうなものは8万円近くします。

冬タイヤも買い換えたばかりですし、ツレはカメラの趣味もあり、そっち関連の出費もありました。

これ以上の出費は厳しすぎて、ほとんど憂鬱・・・。

「東京出張のときに着るものがない!」とツレは言う。

内心、「そんなレアケースに備える必要、なくない?学生のとき、真冬でもコートを着る習慣がなかったんでしょ?東京行くなら、コートなしで平気でしょ・・・。」と思いますが、「ツレが欲しがるもの」にケチつけないように心がけているので、一緒に探していたわけです。

とある日、スマホをいじっていたツレが「これが気になる・・・。どう思う?」と言い出します。

ネイビーのウールコートです。

30%オフになっていて、けっこうお安い。

「これを注文するとしたらどのサイズが相応しいのか?」を検討すべく、手持ちのコートを計ります。

商品サイズと見比べるのですが・・・。

私 「ねえ、これ着丈が90って書いてあるけれど、モデルさんが着用している姿を見る限り、90もなくない?腰の位置より少し長いだけだよ。ロングコートなのかな。モデルさんが着るとハーフコートに見える・・・。」

ツレ 「90って書いてあるんだから、90なんじゃないの?」

私 「このショップ、(仕事が雑だから)計り間違えている可能性があるよ。」

ツレ 「こういう背の高くて足が長い外国人モデル使っても、(日本人には)ぜんぜん参考にならないよね~。こっちは足が短いんだし。」

ブランド本体のHPでもいくつか画像を確認しますが、やはり表記のサイズほど着丈がない気がします・・・。

ちなみにブランドの商品ページにはサイズ表記がありませんでした。

私 「着丈って書いてあるけれど、この数字はエリの端っこから計っていると思う。実際は数字よりも着丈が2cmほど短いかも。いまのコートよりも丈が短いコートだと思うけど、それで大丈夫?」

ツレ 「大丈夫。上着が完全に隠れればOK。それにしても、このモデル、足が長いな・・・。」

ネットでの買い物って、こういうのが面倒ですよね。

試着すれば一発で分かる話なのに、ネットだと検討すべき点が多すぎて・・・。

私が長野市内で一生懸命探したのには理由があり、ツレはキューピーちゃん体型なので、着丈が微妙だと変なAラインになったり、Iラインが太すぎてしまったりして、コートの長さと胸囲がかなり重要。

サイズうんぬんの単純な話ではなく、全身のバランスをみて総合的に判断するほかなく(←百貨店の有名ブランド店員であっても、適切なサイズ選びやまともなジャッジできてない人が続出・・・ってくらいの難易度)、ネットでは買い物が難しいのです。

ということでコート到着。

予想どおり、着丈は90なかったです。

ぱっと見、生地の質感は合格。

お値段にしては優秀すぎ。

黒に近い紺でツレに似合う色。

色も合格。

「ハーフコート疑惑」があったのですけれど、我が家に到着してみれば、ちゃんと膝近くまであるコート。

見た感じ、サイズもフィットしそうなので、「大丈夫そうです」といった趣旨でツレにメールしてみます。

ツレ帰宅。

試着します。

はい、OK(←なぜかキューピーのポーズを決めるツレ)。

ということで、けっこういろいろな角度から検討して購入に至りましたが、コートのお買い物で気付いたことがあるのです。

以前、ブログでも書きましたが、私もコートを更新しました。

喪服用の黒コートを古着購入。

生地と状態が良いものを2000円で買えました。

季節がぴったりになってきたので、普段着として試しに着てみたのです。

ちなみに黒い服は好まないので、黒いコートも好きではありません。

ジーンズを履いて、黒い革スニーカーをはいて、いつものネコちゃんバッグ(ネコ達が好んで頭突きしてくる布バッグ)を斜めがけ。

黒いコートで顔色が悪く見えたので明るい色のニット帽をかぶり、帽子から出ている片方の耳だけにイヤリングを。

着てみれば、喪服コートであっても、好きではない黒い服であっても、「いつもの私」でした。

何を着たところで私は私・・・。

「手持ちの洋服が似合わなくなってくる」とか、「何を着ればいいのか分からない」とか耳にしますけれど、結局のところ、人間のアクや個性が外装品(洋服)を上回ってくれば、何を着ても変わらないってことかな・・・(笑)。

ツレの洋服は一生懸命検討しますけれど、自分の服はもう好きなものを着ればいいんだな~と腑に落ちました。

蛇足ながら、一連のメンズコート探しでほかにも良いコートを見つけました。

ユニクロのシームレスダウン(15900円+税)です。

フードが取り外せます。

「サッカーのコーチみたい。」と言いつつ、フード外せばすっきりしたラインで悪くない。

「どうしても見つからない場合、最終的にコレでもいいかも。期間限定価格のときに。」とツレは言っていました。

「それを着て、ほんとうに東京へ行くならいいよ。」と言っておきました(笑)。

我が家はウールコートにしたのでこれは買いませんけれど、メンズの通勤用コートを慌てて(かつ、お安く)探している方がいらっしゃいましたら、ご参考になさっていただければ。

【追記:上記したユニクロのダウンが本日?から期間限定価格で値下げになってますが、まったくの偶然です。私は早朝(*値下げを知る前)にこのブログを書きました。以前から、ブログに「家の前の信号交差点を歩いていたら右折車が突っ込んできて轢かれそうになった。過去にも突っ込まれた。」などと書くと、その翌日からお巡りさんが立ってくれることが何度もあったりして・・・。一種の夢日記みたいなもの?】

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2019年12月4日
傘地蔵の季節が到来・・・

ツレに「忘年会って、いつ?」と話を振ったところ日付を教えてくれたのですが、「幹事オレ。今年に入って、(飲み会で)幹事じゃなかったことがない・・・。おかしくない?」と言う。

私 「確かにおかしいねえ・・・。」

そんなやりとりをしていて、ふと思ったのです。

我が家、お中元やお歳暮はいっさいやっていません。

いるかいらないか分からないモノを贈り合うのではなく、自分達が好きなものを買えばいいと思っているからです。

ですので、なにかを頂戴しても、お礼の言葉は伝えても、慌てて品を用意して送り返すことはしません。

お中元・お歳暮の波には乗りません。

ですが、例年12月に入ると、ツレがいろいろ持ち帰ってきます。

「畑で白菜が取れたから。」とか、「フジが余っているから。」とか、「醤油をいっぱい買ったから。」とか、そういった理由で食べ物をもらってくるわけです。

どんどん集まります。

例年、傾向があって、今年はなぜか日本酒です。

すでに4本あります。

私はワインを好むので、日本酒は飲みません。

私 「(料理酒で)使いきれない・・・。」

ツレ 「飲むから!大吟醸を料理酒に使わないで~。」

という会話をしているくらいです。

ツレは同僚の相談に乗っていたとかで、メールより1~2時間くらい遅く帰ってくることもあります。

傘地蔵のように、続々とモノをもらってくる理由がなんとなくわかります。

そして、我が家にはすでに日本酒がいっぱい。

これから日本酒を届けようと思っていた方は、どうぞお気持ちだけ・・・(笑)。

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2019年12月2日
ムリしましたが・・・

先週末は、スタッドレスタイヤの購入交換とインフルエンザの予防接種を済ませました。

たった1日で若い方の月給くらいには出費したので、財布がとんでもなく寒い・・・。

例年の私、インフルエンザの予防接種はしません。

会社員じゃないので通勤がないですし、人ごみを避けることができるので、自力で予防しやすい状況。

外で仕事をしない分、「交際費・美容費は節約し、予防接種はうけない」と決めています。

ここ10年、予防がうまくいっていて風邪をひいたのも1回だけ。

今年はなぜ予防接種をしたのかと言うと、長野市が水害の被災地になったから。

土地のコンディションが悪いので、「ひとたび流行ったら、瞬間的に治療薬が足りなくなったりするかな・・・。自力で治すのは大変そう・・・。」と思ったわけです。

万が一、「在庫がないから、届いたら電話します。また来てください。」などと言われて「重症化した上で再通院」はイヤなので(笑)。

母の介護で真冬も実家へ戻ったりするので、その移動中にインフルをもらう可能性も考えて、です。

来年からはまた受けませんけれど・・・。

終末にお買い物にでかけたら、ファミリー連ればかりでしたが、「お母さんだけがマスクをしているご家庭」が散見されました。

「危険性は認識しているものの、大人は自由診療だし、母1人分の予防接種代は節約!」といった風情に見えました。

有事の際、本当はお母さんがカナメなんですけどね・・・。

私も毎年ケチっているのでお気持ちはわかります。

これからインフルの予防接種を検討される方に情報ですが、だいたい3000円くらいって記憶されていませんか?

いま現在の時価?はお一人4000円出して、小銭のお釣りがくる感じです。

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2019年11月28日
介護日記 ⑦ ~介護レベルが通知された~

テレビを見る習慣がない私が、唯一見ているドラマがあります。

「まだ結婚できない男」。

一作目から見ていました。

桑野さんとツレのキャラがかぶっていて面白いので。

人とのコミュニケーションは微妙でも、犬猫とか動物とのコミュニケーションは抜群なんだよな~と。

面白がる私に「ふん、せいぜい面白がればいい。・・・・・・俺は一人焼肉しないぞ。」とツレは言ってました。

・・・相違点、それだけ?

続編で披露宴挨拶の雛形を弁護士先生にオーダーする場面があり、「私にオーダーしようとしたときと言ってること、まんま一緒だな・・・。そして、最終的には自作するところも一緒だし、『3つの袋』とか、馬鹿にしながら気にするところも一緒だな。」としみじみ。

13年前から、我が家には隠しカメラでも???

さて今日は介護日記。

介護調査センターの調査日から、1ヶ月が過ぎました。

待ちに待った?介護レベルが通知されました。

私の予想より1ランク上でした。

世話する子供としては、お金の心配が多少は薄まりありがたい結果になったのですが、母いわく、「調査の日は呼吸すら苦しかったからね・・・。」(←あとづけで死にかけアピール?)。

それぞれのレベルには要件というか、基準があって、詳しいことは知りません。

知りませんけれど、なんとなく「認知症が始まらないと、4以上にはならないのかな?5は昏睡状態に近いのかな?」とか、勝手に妄想していたわけです。

だって、人生100年時代?なわけですから、基準を甘くして若いうちにレベル5とかになられたら、国はきっと困りますよね?

「判断は相当に渋いのかな?」と思っていたわけです。

ちなみに母の頭ははっきりしていて、「カキフライが食べたい。伊勢丹の地下にあるお惣菜で○○のものがいい。伊勢丹のカードで払ってきて。」などと言うくらい。

寝たきりなので、ベッド上で飲むゼリー飲料をいろいろ買ってみたのですが、「どれも甘すぎる。」とダメ出しされ、最終的に「水のゼリー(メロン味)」だけが唯一合格しました。

買い物の際はポイントカードやポイントが貯められるクレジットカード、割引券をいろいろ預けられて、こちらとしては生活していない土地につき、店舗ごとに支払いも大変・・・(←介護はまだ・・・という読者様も、母親介護の際、まったく同じ目に合うと思います・笑)。

介護のレベルは経年するごとにちょっとずつ上がっていって、子供としては「進行に合わせて準備ができる」と思われますよね?

もしくは事前に「入院」があるから、その間にいろいろ介護の手配をすればいいと・・・。

前も書きましたが、地方によって病院のベッドは空いてないため、入院したくてもできません。

たとえ本人が独居で寝たきり状態になっても・・・。

母が「(私が長野市から)来てくれなかったら、私、死んでいたよね。」と言うので、「そうだね。」としか返答しようがありませんでした。

「準備期間ゼロで在宅介護スタート」はありえます。

我が家の場合、介護のランクも二階級特進どころか、もうほとんど振り切れてる状態なので(笑)、「道具も介助の動線もなく、このレベルの人をいきなり在宅介護するなんてありえなかったな・・・。」と思いますが、事実は小説よりも奇なりってことでしょう。

子供としては備えようもありませんが、覚悟、もしくは介護手続きに関する勉強だけはしておいたほうがいいかもしれません。

ひとたび在宅介護が始まってしまうと、自分で勉強している時間はありません。

周囲に聞けば、一連の介護申請手続きをすべて体験した人はいるはずで、そういう方にランチ&午後のお茶でもごちそうして(←在宅介護を経験した人は、時間が貴重品であること(Time is money)を知っていますよ!笑)、具体例を教えてもらうのが手っ取り早いかも。

行政によっては、紙おむつの代金を補助してくれたりもします(*申請が必要です)。

ちなみに大人用の紙おむつ、重いですよ。

夜用なんて、「はあ?・・・なにが入ってるの?」と思うほどに重い。

徒歩で買い物する私の場合、夜用は1回に1パックしか買えず、そもそも宅配サービスが必要な買い物でしょうねえ。

家から出るゴミの量も増えますし、洗濯の回数も増えます。

介護って、いろいろと、各方面にわたって重い。

「少しでもラクに、より経済的に介護する方法」は一生懸命に探したほうがいいと思います。

最後は花教室からのお知らせ。

明日のブログはクリスマス飾りを作った話にします。

今年の花教室ではクリスマスリースレッスンを行わないので、ネット上の「無料レッスン」ということで、ブログにて作り方を公開させていただきます。

「そろそろクリスマス飾りが気になるな~」と言う方は、明日か今週末にでも、ブログ記事をご覧になってみてくださいね。

材料費激安(550円/税込)で、誰でも簡単に作れる方法を編み出しました!

フレッシュな枝を2本使っていて、難しいことは1つもない。

お忙しい方や、私のように「諸事情で、命にかかわる買い物しか今はできない・・・。」という節約モード?ミニマムモード?ほとんど解脱な状況?の方にも。

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2019年11月27日
買い物もシンプルに

お昼ご飯の食材を買いに出る際、ふと気付いたのです。

「最近、お金をさほど使っていないな。」と。

食料品は買っています。

あと、ツレが欲しがるものも買っています。

それ以外は買わなくなりました。

どうやら、台風19号からの避難→在宅介護→実家の不用品処理を集中的に経験してしまったため、「緊急時、ほとんどのモノは役に立たないし、場合によっては邪魔なだけ。」ということに気付いてしまったらしい。

「本当に必要なモノって、ごくわずかだな・・・。」と。

例えば避難の際に役立ったのは、「アウトドア用のレインスーツ+濡れてもいいリュックに入った避難グッズ+カシミヤストール」でした。

暴風雨なので、傘なんて役に立たない。

介護の際に欲しかったのは、「車椅子+介護ベッド+介助のための動線」でしたが、これら3つはどれも手に入らず、悪戦苦闘しているうちに入所となりました。

「いつか使うかも・・・」といってモノを保管するとしても、介護ベッドや車椅子を備える人はいないだろうし、結局、「いつか」の備えは片手落ち。

ポンポン捨てているわけではないのですが、新しく買わないので、じりじりと家の中からモノが減っていきます。

そんな我が家でも、最近、10万円を越える買い物をしたのです。

スタッドレスタイヤです。

ツレもいろいろ検討したようですが、複数のタイヤ店の方に「VRXをすでにお使いなら、VRXがいいですよ。」とアドバイスされて(*別メーカーのタイヤを使っても、満足できないはずだから・・・の意味)、最新型に更新したようです。

高い買い物ですが、ツレは「これで事故るんだったら仕方ないなって諦めがつくし。」と言う。

「厳冬期に雪でモフモフのところとか、凍結した峠とかにでかけなければ、特に高級な冬タイヤなんて必要ないよね?」と思ったりしますよね?

それがですね、「行きたいと思わない時期に、行きたいと思わないモフモフの場所に行く必要」が出てきたりするんですよ、寒冷地に住んでいると・・・。

数年前、ブログにも書きましたが、親戚が亡くなってお通夜&葬式にでかけたとき、まとまった降雪がありました。

親戚の家にたどり着き、どこに車を停めようか?となり、薦められた場所が「斜面&新雪モフモフ&農作業小屋の手前で狭いスペース」。

農作業小屋は見えますが、それ以外の物や溝は雪の下にあり、目で確認はできません。

現場を見たツレが、「え~、ここ?」とぼやいていましたが、ほかに場所がないし、お通夜もじきに始まるので仕方ない。

「降りて。車が横転したら、家に戻って誰かを呼んできて。ひっくり返っても、何も手を出さないで人を呼んできて。」と言われ、こちらは離れた場所で見守るだけです。

雪の中に勢いよく突っ込んでいってハンドルを切り、無事に駐車することができました。

空中に雪が舞い、自動車メーカーのコマーシャルのような図でした(笑)。

ちなみにタクシーは同じ場所でキュルキュル言い、しばらくハマっていました。

寒冷地に住んでいると、否応なく、こんな場所に行く必要が出てきたりするので、冬タイヤへの投資は必須。

ブログ書いていて気付いたのですが、要は「命にかかわるモノ」にしか、最近は投資してないってことで・・・。

「あれはいらないんじゃない?」とか、妄想の段階だったらなにかしらの夢?余地?があったのもの、実体験で弊害やイライラを感じてしまうと、もうアレコレは欲しくない。

私が思うに、生きるのに必須なのは究極3つ。

筋肉・経験・野生の勘(←3K?)。

この三本立てで人は生き抜けるし、そこに他者からの信用がプラスされれば、もうカンペキでしょう。

信用は買えませんので。

そう思えば、もう「モノ」なんて惜しくない(笑)。

なにも置かないスペースを広くとり、窓辺で青空でも見ながら筋トレしたほうが良い。

↓ 私の筋トレ会場。

クローゼット前につき、着替えスペースも兼ねてます。

筋トレ・着替え・ツレのヘアカット・光の反射板に使うので、移動できる姿見は重宝していて持ち続けています。

2019年11月26日
ゆるいのが時代にあっているかも・・・

実家整理のため、大型家具の処分方法を検討している真っ最中。

先週のブログにヨーロッパ家具を無料でお譲りする話も載せていますので、ご興味ある方はご覧ください。

ヨーロッパ家具のほかにも家具はいろいろあるので、「リサイクル」、「無料で譲る(ブログの読者様限定)」、「有料で譲る」、「捨てる」で検討しています。

実家に滞在できる時間に限りがあるため、すべて並行して、一斉にやっています。

そんなことで、思い立って急に処分してしまうかもしれません。

譲りうけに興味がある方はお早めにご連絡ください。

その日は「まとめて捨てる」の方向で検討していてました。

譲り受け先が決まらないものを永遠に実家において置くわけにもいかないので、スペースを作るため、最終的に捨てるほかありません。

私個人のポリシーにも合わず、長年のツケを代わりに払う形でかなり微妙ですが(笑)。

蛇足ながら、私の自宅には「私が一人で運搬できない家財道具」は冷蔵庫だけです。

難しいのは洗濯機で、これを目標に筋トレを頑張りたい。

この日、新潟市内にある便利屋さんに出張見積もりを依頼したのです。

私の希望日は「実家に滞在している期間中で、病院に通院したり、薬局に行ったり、介護施設に行く予定がない空き時間」でした。

師走は業者さんも忙しいだろうと思い、早めに連絡したのです。

日曜日を希望したところ、その日はお休みだと言う。

私、いつもは店の定休日を事前に調べてから動くタイプなのですが、全国チェーンの大手便利屋だったので、定休日の存在は思いつかず・・・。

けれど、「行きますよ、大丈夫です。」とおっしゃる。

私 「え?お休みなんですよね?」

従業員さん 「大丈夫です。従業員が1人行くだけですし。」

私 「え?お休みでしょ?こちらは見積もりしかお願いしないんだし、翌日にしませんか。」

従業員さん 「え?いいですか?」

ということで、私の希望で翌日の営業日に変更したのですが、ダメですよ、定休日にカネにならない件で出勤しては!

お客様は神様じゃないし、儲けにならない人は通行人みたいなもので、神様になりようもない(笑)。

12月はかき入れ時だから、そもそも「師走は定休日も仕事をする算段」だったのかもしれませんけれど、だからと言って、私が仕事を一つ振るのは話が違う。

これ、私がフルタイムで働いていたときのあるあるでした。

当時、バブル崩壊後の若い世代(20代)は休日出勤が当たり前。

お給料が出ないのに、当たり前の雰囲気で多くの若手社員は出勤していました。

振られる仕事が多すぎて、休日に仕事をやらないと来週の自分がまわらず困るから・・・という趣旨です。

私は「ありえない」と思い、「休日は出勤しません。」とか、定時終了後に新しく仕事を振られると「もう、帰りたいんですけど、帰っていいですか?」とか上司にのたまうタイプで、まるきり異端児でしたが。

ここ10年ほどで、ブラックとか、社畜とか、ライフワークバランスとか言う言葉が出てきたので、「当たり前」ではなくなったかもしれませんね。

それなのに、便利屋さんが定休日にも行くとか言い出すので、びっくりしてしまいました。

これ、非正規雇用の推進とか、正社員の人員削減の罪だと思います。

買い叩かれてばかりの人生で、自分の労働時間は安くて当たり前、場合によっては無償労働もありだと刷り込まれている・・・。

ここまで見ないふりしてバブル期の後始末をさせたのだから、就労支援なんて生ぬるいことは言わず、せめて「老後の安泰」を約束してあげるのが道理じゃない?などと思います。

私、イチローさんがアメリカに渡った年(2001年前後?)くらいの記憶がないんです。

メモリアルなゲームや瞬間は勘が働いて、けっこうテレビ中継で見たのですが、なぜか1~2年目のゲームだけは見た記憶がない。

おそらくですが、テレビを見る暇がなく、音楽を聞く時間もなく、プライベートな時間がまったく存在しなかったせいだと思います。

母が倒れて、看病と仕事が並行していた時期だったかも?しれませんが・・・。

振り返ってみると、「記憶が残らないほどに詰め込みすぎの生活は、誰であってもしちゃいけないな。」と思います。

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2019年11月22日
介護日記 ⑥ ~終活年賀状に気付きを得る~

母の終活年賀状を起案しています。

「年賀状のやりとりは今年限りに・・・」というアレです。

お年を召すとどんな状態におかれても習慣にこだわると分かったので、「12月に入ったら気付いて頼まれるだろうな・・・」と予想し、早いうちに(笑)。

毎年に渡って、年賀状づくりを代行させられる事態は避けたいので、私の判断で「年賀状仕舞いの内容」にします。

文章の起案はどうってことないですが、宛名書きの方法に悩んでいます。

母は手書きだったので、データー上の名簿は存在せず。

長野に持ち帰ってデーターを入れて印刷するのも面倒なので、「実家で筆ペンを使って代筆」になりそう。

来年、自分のパソコンを買い換える予定があり、データを入れても将来に役立つ見込みがないので。

宛名書きに思いをはせつつ、お中元やお歳暮、年賀状も「そろそろ仕舞いにしたら?」と何年も前から促していたので、「やっぱりな・・・」で苦笑。

起案したものを印刷し、メールで送ってみます。

母から感謝の言葉が返信され、その他、「こういうことって、きっかけがないとできない」といった趣旨の言葉が添えてありました。

この一言で気付いたことがあります。

最初、「終活は自分の手で人生の始末をつけることであって、寝たきりはそのきっかけにならないよね?機会を逸しているけど・・・?」などと違和感を感じたのです。

ですが「母にとっての終末」は、意識的にか無意識下なのかわかりませんが、子供に寄り添ってもらったり、子供が主体で世話を焼いてくれるものという認識なんだな・・・と気付き、いままで感じていた「違和感の全貌(笑)」が腑に落ちました。

母が常々、「私は幸せ者・・・」と口にしていた「その心」は、こういう答えだったのだなと(笑)。

私は自分のお尻は自分で~、自分の腹は自分で切る~という考え方で、幼稚園児のころから徒歩通学していたくらい。

高校生のころから奨学金を借りて、アルバイトもしていました。

三つ子の魂100まで・・・となり、私が「意識して行動を変えること」はあっても「思想」を変えることはないでしょう。

そしてシニアが終末に至り、その思想を変えるはずもない。

これは「どちらかより正しいか?」という問題ではありません。

重要なのは「違和感が根本的に消えることはありえない」ということと、その「ねじれが原因で物憂くなったり遺恨を残しては、これまでの時間や友好?がもったいない」ということ・・・。

結論です。

介護は粛々と淡々と。

この初期設定さえ忘れなければ、日々、物憂くなることはないでしょう。

これは私が得た気付きであって、ほかの方にそっくり応用できるものではないと思いますが・・・。

例えば、私立の学校を出してもらったとか、結婚や家を建てるときに援助してもらったとか、育児のヘルプしてもらったとか、遺産を残してもらえるとか、そういった事情があれば親子間のバランスが変わってきて当然。

私はどれも当てはまらず、依存がないように今までやってきたこともあり、クールに割り切れます。

ということで、年賀状の宛名書き、修行の一つ(さしずめ写経?)と受け止めます。

どれくらい書くことになるのか、いまはわかりませんけれど・・・。

まあ、介護って、見方を変えれば面白いかも?しれません。

「介護生活から『笑い』をすくい取ることができたら、その人はマスターというか、仙人だよな。水を支配できる人がいたら、その人は無条件に世界制覇できると思うけど、それと同レベルかも。」などと思っていたのですが、「介護を始めないと見えてこないこと」は確実にあります。

欠けたピースをふと見つける感じと言いますか。

それを「希少な発見」として喜べるかどうかで、人間の器に差が出てくる気がしてなりません。

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2019年11月13日
介護日記 ⑤ ~老後に必要なもの~

今年、クリスマスリースレッスンはお休みとさせていただきます。

準備期間中に家を長く空けていたので、企画やデザインなどの準備が間に合わず・・・。

12月にアレンジメントレッスンのご予約をいただいた場合、「クリスマスっぽい花材」をご用意しますので、通常のレッスン内でクリスマス気分を楽しんでいただければと思います。

さて今回、在宅介護を経験し、気付いたことがあります。

長文なので、気が向いた方だけお読みいただければ。

老後に2000万円が必要だとか、いろいろ議論を呼んだらしいですけれど、本当に必要なものは別にあります。

私が思う「老後に必要なもの」のリストです。

① 筋肉

② こだわりと所有物を減らすための行動

③ 自炊する習慣

簡単に説明しますと、まず①の筋肉。

在宅介護を始める数ヶ月前から、筋トレを始めていました。

そのため、筋トレと毎晩のストレッチ習慣がついていました。

在宅介護中、急なことすぎて介護ベッドもありませんし(*布団だったので、ベッドすらありませんでした)、車椅子もありませんでした。

オムツを当ててもトイレには立ちたがるので、道具もノウハウもない中、介助が大変でした(*私は華奢体型で、母よりも体重が少ないです)。

私が腰と背中を痛めずに済んだのは、「つき始めた筋肉とストレッチ習慣のお陰であった。」と断言できます。

どんなに疲れていても、寝る前は布団の上でストレッチをしてから布団に入りました。

筋肉があれば、突然に振って湧いた介護の際に自分の体を守ってくれますし、「自分自身の寝たきり生活」を未来に引き伸ばすことが可能だと思います。

いますぐに毎日牛乳を飲んで、肉を食べて、筋トレする習慣を!

新潟市内で滞在しているとき、道行くシニア達の足の細さと手に持った杖を見て、暗~い近未来を想像してしまいました(*2週間ほど新潟市内にいて、平日に街で見かけた子供は1人だけ。誇張なく本当の話)。

ほとんどの方がシニアになるまでの間、車で移動していたんでしょうね・・・。

日本の近未来の縮図を見た思い。

「ここに至るまで、運動習慣がまるでなかったんだな・・・。」と思わせてくれるに十分な風景でした。

ちなみに新潟市内の薬局で調剤してもらった際、大繁盛で1時間待ちでした(*地域によって、医療は現時点で飽和状態に見える)。

最後の最後、筋肉だけはほんとうに自分を裏切らないかと。

私のように「いますぐに車を放棄して、毎日、何時間でも歩こう。」とまでは言いませんけれど、なんらかの運動習慣は若いうちから必要かと。

シニアになって勇んで始めると怪我の原因になるので、始めるならば今のうちに・・・。

②ですが、年を重ねれば自分の力でできないことが増え、他人にお願いすることが増えるわけですから、その際に「○○は○○の店のものがいい。」とか細かいリクエストをして、「介護する側にとっての用事」を増やさない配慮が必要かと。

寝たきり状態でこだわりがいっぱいあると、本人も周囲もツライだけ。

介護してもらう人が、介護してもらう人に言える言葉は、究極、「ありがとう」の五文字だけじゃないでしょうか?

「介護申請した日」や「寝たきりになった当日」にきっぱりこだわりを捨てられるわけがありませんので、事前準備として少しずつ。

同時にモノも減らしたい。

物が一杯のところでは、介護もままなりません。

死んだ後、「大量のもの」は棺おけに納めて焼き場に持っていけるのでしょうか?

誰が処分を?

しかもタダで???

シニアになると、「それはいいものだから、売れる」とか、「高く売れる」とか言いだしますが、今の時代は「安くて軽くて、小さいもの」が重宝され、「重くて大きくて立派なもの」はニーズがなく売れません。

有料で処分することになり、大型であれば処分費用は安くありませんし、処分に手間も時間もかかります。

「いいものだから、子供に残そう」という意思は、生前に話し合って、受け取る側の合意が得られた場合だけに有効だと思います。

私的には、③の「自炊する習慣」がいちばん大切だと思います。

これがない限り、寝たきりの道へまっしぐら。

預貯金がたっぷりあって、「動けなくなったら他人に多額のお金を払って面倒みてもらう」という計画があるのであれば、自炊習慣は不要だと思いますが。

年金暮らしになり、「今後は潤沢な収入が見込めない・・・」と自覚すると、たいていの方が食費を削りませんか?

惣菜は楽ですが、味付けが濃いこともあり、シニアになると口に合わなくなってくる。

しかも惣菜はお高く、毎回の食事には使えません。

宅配弁当という手段もありますが、「アレは冷凍食品を利用した大量生産で愛がない」とか言い出したり?(笑)

高いだの、口に合わないだのを理由に「アレもダメだ。コレもダメだ。」になります。

そこにプラスして、「自炊が面倒」とか「自炊は苦手」なんて言っていたら・・・。

「いつもきまりきった同じものを食べる」か、もしくは「食費を減らし、食事の内容も不十分」になりかねません。

シニアになれば体も弱ってきますので、そこに栄養不十分な食事を続けていれば、未来は目に見えています。

寝たきりになった場合、入院か入所すればいいと思われますよね?

私の親戚、がんを患っているらしいですが、ベッドに空きがないので入院できていません。

現時点で、すでにベッドはいっぱいなのです。

寝たきり状態になっても、「面倒を見てくれる人」もなく、「面倒を見てくれる機関」も存在しないわけで。

ただ、自然界ではそれは当然のなりゆき。

動けなくなり、食べ物も自力で食べられなくなれば、待っているのは死だけです。

人間だけが特別、と言う考えは私にはありません。

「今後、自炊しない人間には悲惨な未来が待っている」と予感したので、退職前にツレに自炊習慣をつけてもらうように、少しずつ伝授を始めていきたいと思っています。

毎朝、出勤前に、ほとんど牛乳のカフェオレを飲んでもらっています(笑)。

ツレは「私より先に死ぬこと」を想定していて、それ以外の未来は1mmも予想しておらず、「(オレを)持ち上げられるように、しっかり筋肉つけてください!」と私の筋トレを応援していますが・・・。

ということで、これは「老後への備え」なんて優しいタッチの話じゃありません。

サバイバルです。

「そんなネガティブ情報、耳に入ってないよ。曲解か誇張でしょ。」とか「すいぶん悲観的なのね・・・」と思われるかもしれませんが、シニア年齢の方々は積極的にSNS発信しませんし、ましてや発信によって生活環境が激変するような風雲をおこしにかかるはずもなく・・・。

無様に死にたくなければ、私たちは早くに危機を察知して、いまから準備を始めるべきと思います。

前々から「始末のいい人間になりたい」と思っていたので、今回のことはとても勉強になりました。

普通だったら、半世紀以上生きて、ようやく得られるレベルのレッスンだった・・・とすら思います。

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2019年11月12日
介護日記 ④ ~実家の片付け 第2弾~

早朝、我が家の寝室横を駆け抜ける足音で目が覚めました。

30秒ほどすると、また駆け足が・・・。

新種の妖怪か?

布団の中の私 「なにしているんだろう?」

布団の中のツレ 「新聞屋さんじゃない?」

私 「おかしいよ。こんなに同じ場所を何往復もして。動きからして新聞じゃないよ。」

窓際に移動したツレ 「・・・・・・・・ジャージを来た女の子。中学生くらいに見える。」

ということで、早朝から、我が家横の抜け道(*人間ひとりが通れる幅で、数十メートルの距離)をランニングしている子供がいるようなのです。

何十往復も。

どうしてすぐそばの河川敷を走らず、混み合った住宅街の脇道を行ったり来たりしているのか、それは謎です。

三日坊主なら、すぐにやめてもらいたい(笑)。

志が高ければ、これから迎えるであろう-10度の朝も続けてもらいたいです。

三年寝太郎のツレでさえも目が覚めてしまったくらいなので、周囲のお宅は窓を閉め切っていても、全員が漏れなく起こされているはず・・・。

近隣住民の睡眠を毎朝1時間は奪うわけですから、成果として「世界を取れ!」とまでは言いませんが、せめて県大会程度では優勝してもらいたいものです。

とは言えここは長野ですから、冬の競技に限れば、世界が見えてくる可能性はあるかも・・・。

さて、介護日記の続きです。

タイトルをご覧いただき、ブログを長く読んで頂いている方であれば、「以前、終活の一環として、実家の整理をやっているよね?」と思い出していただけたかも?しれません。

2016年の1月に10日間ほど実家に戻り、片づけを実行し、ゴミも大量に捨てました。

今回は、「介護ベッドを入れられるスペースづくり」、「車椅子の動線づくり」、「ヘルパーさんをイライラさせないためにモノを減らすこと」を目的とし、第2弾をやってきました。

5日間、午前5時から作業をひっそりと始め、17時には終らせていました。

母は入所していますので、私の判断でモノを捨てることになります。

我が家は父の遺品という地雷が多く仕込まれているので、「モノを触っただけで、モノが持つ記憶を読み取れる超能力が欲しい・・・。」と本当に思いました。

そんな能力ないので、モノを観察して年代や家にたどり着いた経緯を推理し、「小さな地雷」はいくつも踏む覚悟でどんどん捨てました。

自宅外を片付けてあげて恨まれるなんて、損な役回りでしかありません。

だからこそ、誰もやりたくないのよね・・・(笑)。

ちなみに母の実家は比較的都会に存在するため、早朝にゴミを出さないと、捨てるスペースがいっぱいになってしまって、ゴミが捨てられなくなります。

ルールには外れますが、そんなことから前夜に捨てる人も多いようです。

そんな事情もあって早朝から働きます。

今回は30~45リットルの袋で30袋ほど排出しました。

で、不思議なことにモノが減った感じがありません。

もう笑うしかない(笑)。

家具の前に物が置いてあって、それを片付けてから家具の中に取り掛かるのですが、それが終ると、家具の後ろに粗大ゴミという名の不用品が隠されているわけです。

カゴ一つがいっぱいになると、そのカゴを大型家具の陰に隠し、新たにカゴを買ってきて、身の回り品をそろえ直すのです。

すべての品につき、新旧が存在しています。

陰に隠れていた歴代の「旧」をすべて捨てても、「新」は残しているので、ぱっと見で部屋の様子に変わりがない。

大型家具の中身は空にしてきたので、そこで私は時間切れ。

在宅介護していて一番ストレスだったのは、「なにか1アクションをしようとするとき、スペースがないので、1~2個の家財を持ち上げて移動して道を作り、次のアクションで、またモノを移動する」という作業が続いたことでした。

通り道を作るために座椅子を移動して、次の1歩のために、また何かを移動しないといけないわけです。

帰り道も同じことの繰り返し。

ちなみに在宅介護がひとたび始まってしまうと、ワンオペ状態では、家財道具を処分する時間はありません。

片付けに関し、自宅での介護が始まってからでは遅いのです。

この「モノをどかす作業」って、介護する者にとって心身ともにダメージが大きい。

腰や背筋を痛めたくない状況なのに、1日に何回も何回も座椅子などの家具を移動させないといけないわけですから。

「とにかくモノを減らさないと、ヘルパーさんが怪我したりイライラさせてしまって、双方にとってよくない。」と思い、強権発動して、派手にモノを捨てることにしました。

そもそも母は大型家具が大好きで、介護ベッドを搬入するスペースもないため、「手放す(捨てる)」以外の選択肢はありません。

何年も前から、「老後に向けて、モノは減らすように。物を減らし、床にモノを置く習慣をやめるように。自分で移動できないような大型家具は早めに処分するように。」と何度も何度も繰り返し伝えてきました。

その後、自力ではなにも処分されていません。

「結局、死後、娘に処分させるつもりだったんだな・・・、自分で整理する意思はなかったんだな。」と明らかになり、すべてが私の予想どおりすぎて、がっかりもしました。

ま、実家の整理って、こんなものですよね(笑)。

私としては「もう、おなかいっぱい!」なので、生前の第3弾はやりません。

物が多いほうが安心して過ごせる人も存在し、ありがた迷惑の可能性も十分にあります。

親の人生と子の人生は別モノで、大事にしているものも違うため、そこは混同しないようにしたいので。

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2019年11月8日
介護日記 ③ ~いらない指輪を売り払う~

昨日は18時過ぎから眠くなり、20時には布団の中にいました。

そのまま朝6時まで粘ったので、それなりに眠れた気がします。

翌朝、ボクシングの井上さんの試合を見逃したことに気付きましたが(*ツレにつきあって、決勝以外はすべて視聴していた。昨夜のツレは出張中)、まあ仕方ない。

いまは自分のリズムを取り戻さないといけません。

朝日を浴びるため散歩に出たかったのですが、残念ながら長野市は曇りです。

お日様が出てきたら、善光寺にでも歩いて行こうかな・・・。

さ、週末の今日は錬金術の話です(笑)。

介護保険が効いている間は1割負担ですが、適応が切れてしまった場合、とたん10割に。

将来的にお金が必要です。

実家に誰も使わない指輪1個がありました。

かれこれ、30年ほど眠ったままです。

懸賞かなにかでもらったもので、誰の好みにも合いませんでした。

未使用品です。

母は「モノを処分しないタイプ」。

空箱でも、空容器でも、どんどん発掘されます。

私が捨てない限り、実家には無限にモノが増えるだけ。

婚礼家具のような「売れない大型家具」も多数存在し、それらの処分費用を捻出したかったので、この「思いいれゼロの指輪」を売り払うことにしました。

長野市に戻ってきて、貴金属買取店をハシゴする計画で持ち帰りました。

プランはこうです。

① 家から遠い貴金属店で査定してもらい、売買の判断はしないで持ち帰る。

② その足で、帰宅途中の別の貴金属店で査定してもらい、①より高額だった場合は四の五の言わずに売り払って帰宅。

となります。

でかける前に、やるべきこと。

自分なりの査定。

私は宝石を鑑定する能力はありませんけれど、大事なのは「その物の時価や、想定される流通価格」ではなく、「いくらなら売ってもいいと思えるか?」なので、自分なりに価格を決めます。

モノの処分で重要なのは「他人軸」ではなく、「自分軸」。

指輪はこれ。

鑑定書はありません。

25年ほど前の懸賞品ということからして、おそらく定価は3万円程度だと推測。

ルーペで見るとK18の文字があるので、金としての価値はあります。

石はガーネットで、サイズは大きいものですが、私の目には美しく映りません。

石の価格はゼロと仮定します。

持ち込む当日の金相場もチェックして、私なりの結論としては、「1万円つけば御の字。でもまあ、難しいだろう。1万円で査定されたら、あいみつなしで売買。」となりました。

さ、貴金属店まで徒歩で片道1時間ですが(笑)、でかけますよ。

まず1店舗目。

こちらでは、お手拭+緑茶+飴が供されました。

お茶、美味しかったです。

このお店の場合、査定係は店舗内に存在しないようで、本部らしきところに電話して査定する形でした。

査定する人は「現物を見ていない」ということです。

金の重さと石のサイズだけを店舗の社員が計っていて、それらデータを電話で伝えるわけです。

結果、「溶かすこと前提のお値段だと3000円ですが、石が大きいので、このまま商品として流通させることを考えると6000円になります。石のお値段はつきませんが、6000円でいかがでしょうか?」といったものでした。

ちなみにリサイクルショップに宝石を持ち込むと、「石の鑑定をできる人材」が店に存在しないので、「石にはお値段がつきません」という立場を取る店が多いというか、そっちが普通です。

次、2店舗目。

このお店、正直、びっくりしました。

私、いろいろな古物の店で取引していますが、経験上、「長野市内のリサイクルショップに目利きは存在しない。爪を隠している人も存在しない。」と思っていたのです。

この認識が誤りだと、2店舗目は教えてくれました。

店員さん、箱を開けた瞬間に「ガーネットですね。」とおっしゃって、「デザインからして20年から30年前のお品です。」と・・・。

ルーペで石を見て、「染色されたガーネットです。綺麗に見えるように染めてます。天然のものではありません。」ともおっしゃる。

金の重さを量り、どこに相談することもなく、「1万円です。」ときっぱり。

私もきっぱりと「それでいいです。」とお返事し、商談成立。

私、自分の誤解を恥じました。

「自分の目に自信を持っている目利き」は、長野市内にも存在しました。

誤解を恥じると同時に、「この商売、私にもできるんじゃない?石を鑑定できない私が同額査定したんだから・・・。」とも思いました(笑)。

さて、まとめです。

①の店に関しては、当日の金の相場を考えると「持ち込む人間は掛け算もできないと思ってるんかい?詐欺か?」ぐらいにダメダメ。

②の店に関しては、「店の儲けが5000円位という計算ならば、古物商として良心的と言えるだろう。」と納得できました。

ということで、上記は真実ですが、公然と事実を摘示して名誉毀損・・・といかいちゃもんつけられたらイヤなので(笑)、それぞれの店名は伏せます。

長野市内で貴金属を売り払う場合、あいみつ不要で②の店に持ち込めばいいと思うので、店舗名を知りたい方は花教室のレッスンの際にお尋ねください(*メールとかではなく、お会いしたときに口頭で聞いてください)。

どこのお宅にも、「どこに持ち込めばいいか、わからない」とか、「売るのが面倒」といった理由で放置されている貴金属が多少はありますよね?

私は自分の足でハシゴすることで、良い経験を得ました。

それにしても私、古物商をやったほうがいいのかもしれない。

適性があるな・・・と気付いてしまいました。

鼻がいいので調香師もできるんじゃないか・・・と思っているのですが、ツレは「靴職人になったら?」と言い、母は「お惣菜屋さん、やらないの?」と言います。

そんなに若くない。