2019年9月30日
100均の功罪?

手縫いのクッションカバーがシャビーになったので、「新しく作ろうかな。」と思い立ち、家にあるハギレをチェックしてみました。

ちょうどよいサイズがありません。

パッチワーク状態で縫うことも可能ですが、1枚1枚のサイズが小さすぎて面倒です。

我が家、ミシンはありません。

クッションカバーは「ハギレの手縫い」でよいです。

こだわりがありません。

インテリアをぶち壊さないでくれれば、それでOK。

「今回は作るのが面倒すぎるし、100均で済ませてもいいか。ま、『あれば』の話だけど・・・。」と思い立ち、あまり期待せずに見に行ったのです。

この2枚を購入してきました。

ピスタチオグリーンとブラウン。

ファスナーもついてます。

このクオリティーで108円なの???

こういうとき、節約主婦だったら、「高見えのクッションカバーを100均でゲット!」などと言って、はしゃぐ?寿ぐ?のが通常運転なのかもしれません。

ですが私、喜びというよりも不安を覚えました(←天邪鬼の本領発揮)。

「日本人の給料が何十年もアップしないどころか、ダウンしているのは、こういった商品が出回ってるせいじゃないの?もしかして、失われた20年の一因?」などと、それはそれはふか~く考えてしまうのです。

100均って、布モノは難しい時代が長かったですよね?

登場しても質が悪いので、「布は100円じゃ納まらないアイテムなんだろう。」と思っていました。

「ついに布モノまで、このクオリティーに到達してしまったこと」に不安を覚えるわけです。

「安かろう、それなりに良かろう」の状態が続けば、国内の技術や人件費を軽視する傾向がますます強まりませんか?

アイテムの底値が低いまま数十年が経過しているから、否応なく業界の給料だって上がる余地がないし、正社員が増えるはずもない。

良い材料で腕のよい職人が物を作っても、お値段が高いから手が出ない~とか、100均でいいや~などと言って、買う人が現れない。

職人さんは食べていけないから製造をやめてしまい、技術が廃れる。

卵が先か?ニワトリが先か?な話になってしまいますが、国内では悪循環???

まあ、「ついに到達した」という感覚を別の言葉で言い表せば「ピーク→飽和の気配→終りのはじまり」となるかもしれず、まったく無意味な心配かもしれませんけれど・・・。

引越し時には100均のお世話になりっぱなしで、100均に恩は感じています。

若い頃は「100均を使わないと暮らしが回らず、生活できない」ということもあって、ありがたい存在だとも思います。

けれどここ10年くらい、100均の食器は意図的に手放しました。

物持ちが良いため、何十年も「社会人なり立ての頃に購入した間に合わせの100均食器」を惰性で使っていたものの(←どうやっても壊れないので、性格的に捨てられなかった)、私の場合、「その行為には、もうプラスがない・・・。」と気付いたからです。

気に入ってもおらず、ときめきもなく、「ただそこにある」という理由だけで、何十年も使い続けるなんて・・・。

下手したら、死ぬまでその食器を使い続ける可能性だってありました。

では、何を使っているのか?と言えば、プレゼントしていただいた器があり、それは毎日使っています。

使い始めてから10年ほど経ちました。

故人となった人間国宝が生前に焼いた器で、美しいものですし、存在感があります。

毎日触っているのでテリも出てきましたし、「思い込み!」と言われればそれまでですが、経年して、器の景色が変わってきている気がします。

「何を注ぐか?」によって、内側の土色というか、薄紫色のシミが自在に変化するのです。

つくもがみが付いている・・・とかじゃなくて(笑)、酸やアルカリといった成分に対し敏感に反応しているようで、いったいどんな土を使っているのやら・・・。

うっかりでも、割りたくない。

自然、使うときには姿勢を正し、手を添えます。

「肘でコッツン・・・。」などのトラブルがあってはいけないので、テーブルの上に余計なものも置きません。

毎日、そういった所作で10年以上は使っているので、それがクセになりました。

食器は丁寧に扱うのが当たり前に。

私の性格上、「100均の器を10年」だったら、こうはならなかったと思います。

いろいろなものが点在したカオスなテーブルに、片手で「ドン!」&「グイ!」だと思う(笑)。

もしかしたら、「眠いから洗うのが面倒~。」ということで、汚れたまま、翌朝まで放置した可能性すらありそう・・・。

片手でドンの生活を10年続ければ、家の中であろうが外であろうが、どんな食器だって間違いなく「ドン!」ですよね・・・。

このほかにも頂き物のノリタケを毎日使っていますが、カフェやホテルでノリタケが出てくると、初めて見た柄であっても持った瞬間に「これはノリタケだな・・・。」と分かります。

壊れるリスクを背負っていますが、モノが、人の所作・習慣・人間性までも教育?矯正?してくれることもあると思われ、「良いモノはしまいこまず、日々使うべき。」と考えています。

とは言え、価値観は人それぞれ・・・。

100均の器を80年使い続ければ、最後の頃には「つくもがみ」が付くかもしれない。